2013年5月18日土曜日

祝? F-1復帰! しかし・・・・HONDAの憂鬱

HONDAは 来シーズンからエンジン・サブライヤーとしてF-1に復帰することを表明した

ここで記憶にはまだまだ新しいような第2期目と言われているセナ、プロスト、ピケ、マンセル、ベルガーあたりの頃以前をおさらいとして振り返って見ることに

この頃HONDAの4輪部門は レース・イメージとはかなりかけ離れていて極々一般的な自動車メーカーではあった。そんなこんなの事情でいっぺんにF-1へと言うわけにも行かず まずは F-1カテゴリーのすぐ下のクラスのF-2に参戦する。参戦と言っても 国内外のレーシング・チームの数チームにエンジンを供給する手法を取る訳ですが

国内ではレーシングドライバーとしてレジェンド的な存在の生沢徹さん率いるi&i racingでドライバーは老舗的なチームのヒーローズ・レーシングから移籍 ( 生沢さんが引っこ抜いたとか影口もあったが ) した中嶋悟さんでした。

当時 F-2は BMWの4気筒エンジンが主流で熟成された感があり たまに他メーカーエンジンが登場するときもあったが 安定感ではBMWの敵には成り得なかった。

そこにHONDAはV型6気筒のスペシャル・バージョンとも言えるエンジンを投入する ( ちなみに翌年か翌々年にはYAMAHAも参戦する ) 出だしはやはり安定感があまりなく目標のパワーが出てない感じで生沢監督の頭脳と徐々に頭角を現し始めた中嶋悟さんのコンビによりF-1カーを彷彿とさせるJPSカラーのマシンで勝利をものにして行った。

BMWもメーカーのプライドからかMパワーと呼ばれる高出力仕様のエンジンをヒーローズ・レーシングに供給するが 既にHONDAの優位性が確立されてしまっていた。ただHONDAは供給チームを増やすことはせずにF-2からレギュレーション ( 車両規定 ) が変更したF-3000に至っては協力、外郭会社的?な存在の無限 ( 本田宗一郎さんの息子さんが作った会社 ) に移行させて行くことになる。

補足 : 日本でF-2はフォーミュラ・レースの最高カテゴリーでそれなりに人気があったけど 欧州では運営の悪さからかエントリー・チームも徐々に減りだし衰退して行く そこで F-1では使われなくなったフォードのV型8気筒 3000ccエンジンを利用してチーム運営経費を抑えチーム数 ( 参加台数 ) を増やす目的でF-3000がスタートする。・・・・が当初の目論見も見事にはずれて 人気レースとはならなかった。

日本そして欧州のF-2を制して HONDAのF-1チャレンジがいよいよ本格化する訳だが 道程は そんなには甘くは無かった・・・・。
to be continued

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