2013年5月21日火曜日

祝! F-1復帰 しかし・・・・HONDAの憂鬱?

HONDAは欧州F-2では イギリスに拠点があるラルト・エンジニアリングと言うチームと契約していました。

ラルトはオーナー兼エンジニアであるロン・トラーナック氏が 昔 一緒に仕事をしたことがある等ベストのパートナーと思われる選択でしたが 当のトラーナックさんは F-1進出にあまり積極的では無くその態度に嫌気が差してきたHONDAは 代わりに 他チームからエンジニアを引っこ抜き 資金を提供して スピリット・レーシングと言う名前のレーシング・チームを作ってしまう

このスピリットもF-2では成績を残すものの F-1参戦を考えると脆弱な体制だったことは歪めなかった・・・・。

そしてついに1983年 HONDAは F-1の舞台に戻って来た!( 確かシーズンの途中? )

ドライバーは 何人かの候補が挙がった中で F-1の経験もあり日本のレースでも活躍し日本人の仕事パターンも理解しそして何よりも性格がいいw スエーデン出身のステファン・ヨハンソン (  日本にもファンが一杯居てぼくもその1人  ) を起用した。

クルマの方は シャーシはF-2から流用したモノ エンジンもF-2用のV型6気筒モデルの基本レイアウトには殆ど手を加えずにレギュレーションに合わせて排気量を2000ccから1500ccにスケールダウンしそれにターボチャージャーを組み合わせただけの ( 当然 高出力のターボチャージャー用セットはしてる訳だが ) 外観でもやっつけ的な部分も見え隠れしててあまりカッコよく無さそうな代物でした。

補足 : エンジンはよくクルマの心臓と言われますが その心臓の内側の重要パーツ ピストンは
この頃 ( 現在のことは知らない ) ピストン・メーカーのマーレー製を使うことがレーシング・エンジンでは 半ば常識ではあったが 他エンジン・サプライヤーからの外圧があったと言われてるけど 当初 マーレーはHONDAへのピストン供給を渋っていて この肝とも言える部品を自社で開発しなければいけないことになってしまった。
その後 マーレー側が折れて HONDAに部品供給を始めたが どのエンジン・モデルからかは外野的に色々な説があって定かでは無さそうで 壊れなくなった頃からじゃね?とかw そして マーレー製を使い続けたのか? また 自社開発製に戻したか? 興味深い部分ではあるけどあまりよく知られていない。

華々しくと言うより 割りと地味目にスタートを切った F-1参戦でしたが

やはり急造のシャーシ、急造のエンジンではやたらに壊れ予選をクリアするのがやっとでレースどころではなく エンジンのデータ取りもままならない状態でチーム・スタッフと とりわけ テストドライブもこなさなければならないステファンの苦労は相当なものだったと推測される。

F-1で上位のチームと勝ち負けで渡り合うには エンジンそのものを見直すことが急務となり しかし
残された時間はあまり無く 他チームが本格的に来季の構想 ( トップ・チームでは 体制、予算、スポンサー契約等 9月ちょい前位から始まると言われている ) を練リ出す時期に差し掛かってしまっていた・・・・。

HONDAは スピリットを本格的なレースに挑む前フリ的?なチームだったとしてるが・・・・

あとはサラっとまとめて1話程度にしときます ・・・・to be continued

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